現在、星座は88星座あるとされています。
しかし、この88星座は一体どのように決められたのでしょうか?
今回は、星座が現在のように決められた経緯についてお話しします。
<初めての星図>
始まりは紀元前2世紀、学者ヒッパルコスは、初めて星図を作りました。これは、850の星の光の強さによって6つの等級をつけたものです。これによって、より細かく星を観測・把握できるようになったと言われています。
<星座の組み込み>
その300年後、プトレマイオスが、ヒッパルコスの作った星図を元にして、1022の天体からなる新たな星図を作りました。この星図には、神話の伝承をベースにした、星のグループを「星座」として組み込みました。このとき作られた最初の星座は黄道12星座を含めて48星座でした。
非常に完成度の高い星図であったため、この48星座は17世紀初頭まで変更されることなく天文学で用いられました。
しかし、あまりに完成度の高い星図は天文学の研究の停滞を招きました。プトレマイオス以降、なんと1400年に渡り誰も星座を追加しようとはしなかったのです。精度の高い望遠鏡がなかった当時、48星座以上の星座に必要性を感じなかったのです。
<未知の星との遭遇>
しかし、ついにこの停滞が動き出します。それは16世紀の大航海時代の幕開けによるものです。
航海を行い、南に下った水夫たちは、それまで目にしたことのない星のグループを確認します。北半球ではみえなかった星が見えたのです。逆に北半球で目印にしていた星が見えなくなったため、新たに発見された星を目印にする必要がでてきたのです。
ここから、星座の製作ラッシュが幕を開けます。中には新たに発見された星だけでなく、プトレマイオスが作った48星座を分解して、独自の星座を作る人もでてきました。まさに群雄割拠の様相です。
<空の地図の確定>
しかし、これによって混乱がもたらされます。
共通の認識の星座がないことで、目印、伝達に不便が生じてしまいました。
そこでついに1920年に結成されたのが「国際天文学連合」です。星座の管理団体ともいうべき組織で、星座の整理や境界線を確立していきました。
そして1930年の総会で、プトレマイオスの48星座を中心に、88星座が定められました。
これによって夜空の星はすべてどこかの星座に属し、賑やかな完全な空の地図としての役割を担い、現代の私たちまで引き継がれています。